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ジェイムズ・ラブリエ(James LaBrie、本名Kevin James LaBrie、1963年5月5日 - )は、アメリカのプログレッシブ・メタル・バンド、ドリーム・シアターのリードシンガーである。 == 略歴 == カナダのオンタリオ州ペネタングイシーンで生まれる。 シンガーであった父親の影響で、5歳から歌ったりドラムを叩き始める。 10代半ばまでには、歌手またはドラマーとしていくつかのバンドのメンバーとなっていたが、18歳になった1981年には、もっと精力的な音楽活動を追求すべくトロントへと移住。現在もトロントで、妻Karen、娘Chloe、息子Chanceと共に住んでいる。 1984年から、ボイストレーナーとして有名であったローズマリー・パトリシア・バーンズに師事。様々なバンドでの活動を経た後、カナダのロック・バンド、ウィンター・ローズのヴォーカルとなり、1989年に同タイトルのアルバムを発売する。 1991年、当時は比較的無名であったアメリカのプログレッシブ・メタル・バンドのドリーム・シアターがヴォーカルを探している事を知り、互いにテープを送り合って、オーディションを受けるためにニューヨークへと向かった。 ラブリエはジャーニーの「Lovin', Touchin', Squeezin'」を歌い〔『ア・チェンジ・オブ・シーズンズ』日本盤CD(AMCY-885)ライナーノーツ(マイク・ポートノイ、訳:中村美夏)〕、その結果、彼は他の有望な200人を押しのけて、バンドの正式なヴォーカルとして選ばれた。 バンドにはすでに同名のケヴィン(ケヴィン・ムーア)がいたため、それ以降、彼はミドル・ネームのジェイムズを名乗ることとなる。 1994年12月、キューバでの休暇中、彼は重症の食中毒に苦しみ、嘔吐をするうちに声帯を痛めてしまった。3人の喉の専門医に診てもらったが、全員が手の施しようがないと言い、唯一出来ることは、できるだけ喉を休める事だと言われた。 しかし、1995年1月12日、彼は医者の忠告に反して、到底普通の喉の状態では無いにも拘らず日本でアウェイクツアーに出た。 少なくとも1997年まで喉が普通では無い感じだったと彼は述べている。 1998年、自身のプロジェクトであるマルマズラーを立ち上げ〔allmusic (((MullMuzzler > Biography))) 〕、翌1999年にアルバム『キープ・イット・トゥ・ユアセルフ』を発表。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジェイムズ・ラブリエ」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 James LaBrie 」があります。 スポンサード リンク
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